「ぼろ」とは悪いことだろうか?
「ぼろ」とは簡単に作りあげられるものではない。お金がなくとも節約して自分で直しつづけることで、あるいは放ったらかしにしつづけることで、何年もかけて醸成されるのだ。
「ぼろい」店を訪れることで、お金をかけて見た目を取りつくろうことなんかよりも大切なことがわかる。「ぼろ」の中には輝くものが見える。
だからこそ、私は「ぼろ」を追いかける。
「ぼろ」は、ロマンなのだ。
ぼろ酔いで訪れたバラック飲み屋街
新潟を訪れたその夜、一軒目の居酒屋で腹を満たしたあと、ずっと気になっていた飲み屋街を訪れていた。
細い路地を抜けていくと、目の前にバラック建築群が突如として現れる。

こ、これはすごい……
突然、暗闇の隅で何かが動く。バッと振り向くと、
……猫だった。
正直、不気味の一言である。
何も知らず夜中にここを訪れたとすれば、足早に通り過ぎていたかもしれない異様な雰囲気だった。こんなところに本当に飲み屋があるのだろうか。
少し不安になったときに、奥側に灯りが見えた。それが「ちゃこ」だった。
闇の中に浮かぶ唯一のそれは、まるで、いつ消えてもおかしくないような儚い灯りだった。
昭和の残像。新潟に残るレトロ空間・沼垂
新潟市に沼垂という地域がある。「ぬったり」という聞き慣れない地名。ここの一角には、かつて旧沼垂市場が存在し、見るからに古い長屋が残っている。
その長屋群は商業施設「沼垂テラス商店街」として再利用され、近年注目されている。
再び若者たちが集まり、まるで生まれ変わったように見えるその街は、同じように寂れた全国の商店の新しい活路として映ることだろう。
今日の話はその、沼垂テラス商店街の、裏通り。
表通りに比べて、こちらは全く人気がない。ぼろぼろのバラック飲み屋が静かに立つばかりだ。
そこにあるのが「ちゃこ」である。

こんばんは、いけますか?

あらー、もう帰ろうかと思ってたのよ。
ママと思われる初老の女性は、他のお客を見送りながらそう言った。

そっか…ここに来たくて大阪から来たんですけど…残念…
惜しむ気持ちを抑えられずに、肩を落とした。

…じゃあ、一杯だけ飲んできな。その代わり、もうご飯はねえよ?
仕方ないなあこの子は、と言った様子で招き入れてくれたのだった。
9月、ちゃこの孤独な夜

とりあえずビールお願いします。
ママがビールをコップに注いでくれる。黄金の液体が、少し色褪せたような店内の照明の光を受けてキラキラと輝いた。

ママもよかったら、一緒にどうぞ!

あら、ありがとね。
見回すと、店内は狭い。カウンター席のみ、それもわずか6席ほどの本当に小さな店だ。

ここは何時から何時までやっているんですか?

毎日16時からやってる。いまは何時?

んーと、21時ですね。

いつもこの時間には閉めちゃってるよ。たまたまさっきまでお客さんが居たからさあ……

わーほんと、遅くにごめんなさい。次から気をつけます…

次ねえ。次はいつ来る?

えっ、うーん、まだ未定です…ここは何曜日休みなんですか?

ここは休みとかない。正月と用事がねえと休まねえ。

すごい!毎日立ってるってことですか?

そうよー。大変なんだから。マヂで!

まあ、せっかく来たんだから、飲んめ飲め〜
まだ飲みきってもないというのに、ママはどんどんとお酒を注いでくる。

本当はね、いつもご飯があるのよ。刺身だの、煮付けだの。天ぷらとか、はすとか、田舎料理ってのだよ。

料理上手なんですね。

料理上手っていうか、上手とか下手くそとかないんだよ。続けてきた、ってだけなんだから。

ママは新潟生まれですか?

おれは新潟生まれ、新潟育ちよお。漁師の娘だからさ。魚さばくのうまいよ。マヂで!

(マヂでってのは新潟弁だろうか…)ママのご飯、食べにきたいなあ。

そうかい。次はいつ来る?

うーん、そうだなあ、魚の美味しい季節に来ます。

新潟はいつだって魚が美味しいんだよ。あっはっは。そんなこと言ってたら、しょうがないよぉ。

この通りは、ちょっと寂しいですね。

逆側は、なんかぼちぼちやってるけどね。若い子が、最近やりだしたんだね。まあでも、こっち側はもうおしまいよ。わたしで最後。

そうなんですか。この店以外はもう閉めちゃったんですか?

みんな年でやめたがな。わたしがここにきたとき40歳50歳のかあちゃんが、80歳になったらみんなやめてったけど。つい先月くらいに、向こうの店のかあちゃんもやめた。84とかだったかな。わたしもここへ来た時は一番若かったんだけど、今はこんな風にババになった。あっはっは。

ママはここで働いて何年くらいなんですか?

35歳でここにきたから、もう40年になるねえ。

てことは…75歳ってこと? 全然見えないです!髪がフサフサだし肌が綺麗!

やぁだ、褒め上手だねえ〜!

なんでここでお店しようと思ったんですか?

生活がかかってるからだし、こういう商売がすきだったからさ。水商売。わたしはねえ、人にねえ10年くらい使われてた。昭和新道でね。昔はあのへんトルコ風呂がたくさんあったのよぉ。

昭和新道……
昭和新道とは新潟に存在する、いわゆる風俗街のことである。新潟でひときわネオンが妖しく光るその街で、ママは働いていた。

トルコはしてねえよ。トルコ街の逆側で、お茶漬け屋をやってたんだ。そしてお金を貯めてさ、そこを辞めて人の世話あってここにきた。ちゃこって名前は前の人がつけた。私は2代目か3代目みたいだよ。

まあ、飲め飲めぇ!
一本だけにしようと思っていたのに、いつの間にか二本目のビールの栓が開いていた。

でも、いいかげん年だからよお。だからよお、もう辞めようと思ってさぁ……

えっ? 辞める?

1年1年さ、今年やったからまた来年もって続けてきたんだよね。でぇもね、もう今年いっぱいでやめちゃうつもり。

えええ。今年いっぱいって、もう、あと三ヶ月もない。

ママが辞めたら、ここは、どうなるんですか?

もおここは誰にも貸せないしさ。わたしがやめたら、市が壊しちゃうみたいよ。この通りは、みーんな更地になっちゃうのよ。

……
言葉を失ってしまった。バラック飲み屋街の最後の店ちゃこ。今年いっぱいでその光は、消えてしまう。
それはとても寂しいことだと思った。けれども、ただ訪れただけの私が、ママを引き止める資格などない。

今日明日にでもやめてもいい。…でも常連がさあ辞めんなって言うからさ。それがなけりゃさ、すぐ辞めてるけどさぁ。

……常連さんが来るんですね。

そうよ。お姉さんみたいな飛び込みの人なんて、ほとんどいないんだよ。馴染みのひとが多いからさ。昔から来ててさ、みんな懐かしくて訪ねてくるんだよ。

常連さんが辞めるなって言うのもわかるなあ。こういう店って貴重だから。

新潟でも、他にもうないでしょう、こういう店。常連がいるからねえ、幸せだよ。

ママが好きだから、みんな来るんだね。

まんまが好きなんだね。あっはっは。まあ、おれはさっぱりしてて、ぐちゃぐちゃしてねえから。今年は開けてるけど、来年はどうかな。でも、みんな辞めんな辞めんなっていうからさあ……
困ったような、でもそんな風に愛されて嬉しいような、複雑な顔をして、ママは静かに笑った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ごめんなさいね、遅くまで。
タクシー代にでも、と少し多めに支払った。

あらいいの、ありがとうね。もっと早い時間に来て。おもしろいお客さんいっぱいくるからさぁ。

こちらこそありがとうございました。ママ、握手してくれませんか?

やあだ、手が痩せててはずかしい。お姉さんは綺麗な手してるね。

わたしはねえ、神様って信じててね、毎日お祈りしてるの。だからねえ、ありがたいことにお客さんは良い人ばかりなのさ。

次来るの、待ってるよ。
外へ出ると雨が降り出していた。容赦なく体を打つ雨に、酒と思い出話で温まった体がすぐに冷えていくのがわかった。暖かかったあの空間のことなどまるで嘘みたいだ。
酔っ払ったせいか、頭がずーんと重い。
今日最後の客ということだからか、ちゃこの看板の電気は消えて、あたりは更に深い闇に包まれていた。まだママがいるというのに、雨に流されて、バラック飲み屋街はこのままどこかへ消えてしまいそうだ。
「「次はいつ来る?」」
ママの言葉が妙に頭に残る。そういえば、私はいつも店を去る時に「また来る」と簡単に約束してしまうことが多い。でも、その約束を本当に守れたことは、果たしてどれくらいあっただろう。
タクシーを拾うため、とぼとぼと歩きだした。
降りしきる雨で、またさらに一段と勝手な寂しさは加速するのだった。寒さのせいかなんなのか、鼻の奥がずーんと痛い。人通りも車通りもほとんどないせいで、しばらく雨の中を彷徨わなければならなかった。
寺町簡易料理店組合の歴史
あれから、ちゃこのことが忘れられなかった。
あの異次元のような場所でのママとの会合が忘れられなかったのもあるが、すこし心にひっかかっていることがあったのだ。
ママはあの店を誰にも貸せないと言っていた。そして、潰れたら市が更地にすると言っていた。その言葉はどういう意味なのだろうか。表通りの長屋が沼垂テラス商店街として再利用されているが、ママの言葉どおりだと、裏通りの飲み屋街は利用されることなく、ただ終わり待つのみということになる。
少しだけ、調べてみることにした。
▲平成28年の航空写真。赤がちゃこ、青が沼垂テラス商店街
バラック飲み屋街の正式名は、寺町簡易料理店組合という。しかし、図書館に行ってもそれに関する文献は殆どない。あるのは、沼垂テラス商店街の前身である旧沼垂市場に関することばかりだ。
沼垂では古くは江戸時代から市が開かれていた。市場の場所は災害などを経て転々としていたが、沼垂名物として賑わっていた。周辺の農家では、嫁が外出の許可を得るときに「沼垂へ買い物へ行ってくるれ」といえば大威張りで出られた、という話も残っている。
戦後、沼垂朝市は国道沿いに開かれていたが、自動車交通量の激増にともない移転させることになり、昭和30年12月、沼垂寺町堀を埋め立ててそこに沼垂朝市を新設し移転させた。
(『新潟市合併町村の歴史第3号』より)
▲昭和33年 新潟市住宅明細地図より
市場が移設されたその頃の地図には、移転された朝市の店舗型商店と思われるものがいくつか確認できる。そして、その頃には飲み屋街が一通り並んでいたことも分かる。
30年代は、近くで工場勤務する人も多く、このあたりは大変賑わっていたそうだ。
▲昭和37年 新潟市住宅明細地図。この頃からチャコの屋号が確認できる
ところが昭和39年10月、新潟市中央卸売市場の開設とともに卸売機能の大部分がそちらに移行させられた。
(『ぬったり定住三百年記念誌ぬったり』より)
青果物の卸は中央卸売市場を通して行うなどの条件付きで、この場所には新食品小売市場が誕生した。これが今の沼垂テラス商店街の前身である。
▲昭和41年 新潟市住宅明細地図
しかし、そういった流通機構の変革や、スーパーの誕生や工場の移転など様々な要因が重なって、この市場と飲み屋街は廃れていくことになる。
そして沼垂市場の方は、冒頭の記述どおり近年若者が参入し、沼垂テラス商店街として再び盛り上がっているところである。
…ということまでは分かったのだが、どうして沼垂市場は再利用されて、寺町簡易料理店組合側はそのまま消えていくばかりなのかが、資料の中で確認することができなかった。
市に問い合わせてみたところ、納得いくことが分かった。
表通りの市場は、建物も土地も沼垂市場のものだった。
だがしかし裏通りの飲み屋街はというと、建物は寺町簡易料理店組合のものだが、実はあの土地は市のもの。定義としては市の所有する”道路”なのだ(新潟市道南1-76号線)
この飲み屋街は昭和20年代頃に誕生したそうだ。もっともこれは不法占拠ではない。戦後の混迷期のことであり正式な書類は残されていないが、戦災者、特に戦争未亡人の就労を支援する形で、道路上での飲食店営業を市が許可したのだという。
現在の道路法では、道路上での飲食店営業はできないとされている。しかしここは上記のような経緯がある場所だ。長年続けてきた人の営業は、現在特別に認められている。
とはいえそれはつまり、この場所で代替わりをすることも、これから新しく店を始めることもできないということを示している。
ちゃこは、本当にあの場所での最後の店になってしまったのだ。
ちゃこが辞めたら、飲み屋街はどうなるか?
建物が組合のものなので市は勝手にそれを壊すことはないが、今後は地域住民の意向とともに決めていくということだ。
戦後の激動の時代から、ただ一つ残った飲み屋、ちゃこ。
その灯りの照らす先には暗闇が広がる。
ちゃこの灯は長年在り続けたにもかかわらず、風が吹けば一瞬で消えてしまいそうな、まるで小さな火のように思えた。
11月、ちゃこの愛の夜
11月の頭に、私は再び新潟・沼垂を訪れていた。目的はもちろん、ちゃこである。
店内に入ると、なんとほぼ満席に近い。あまりにも寂れた裏通りの見た目と反していて、驚かずにいられなかった。

こんばんは、いけますか?

……はいはい、いけるけんど……あんらまあ若い子が……

覚えてますか? こないだ来たんです。

……えー!あの時遅くに来た。あらぁまあ、覚えてるわよ。

あの時は遅くに来て本当にすみません…!なので、今日は早く来ました。
先日は夜遅くて私が最後の客だったが、今日は違う。賑やかな店内で、前回食べることができなかった手料理に舌鼓を打ちながら、ママと話す。
▲ママのお手製”煮込み” 味が濃くて美味しい

どうしてまた新潟に来たの?

だって、また来るって約束したから。

あんら〜そう。ええ。嬉しいねえ。こんなことあるもんだねえ。
ママは心から嬉しそうに、満面の笑みで言う。

また来るって皆言うけど、本当に来てくれる人なんてまあ〜、滅多にいないよ。

あはは。また来るって言って来れたこと、わたしも殆どないな。ママが辞めるっていうから、どうしても来なくちゃいけないと思って。

……いつ頃とか決まってるんですか?

そのことだけどさ、実は…

来年もすることにしたのさぁ。

え!どういうこと?

今年なんて、もう終わりじゃないか。来年のこと言うと鬼が笑うっていうけど、年明けは5日から開けるよ。常連が皆辞めないで辞めないで〜って言ってうるさいからさ。

わ〜!そっかぁ…大変だと思うけど、でも、嬉しいなあ。

それにさ。お姉さんみたいに、また来たよ〜なんて言われちゃったらさ。嬉しくってさ。続けないとって思うのね、マヂで!

そっか〜。うん。うん。

また来ないといけないよ。次は、結婚してベイビーちゃん連れて来なさいね。

それは約束できるかな……自信ないな……
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ママ、ごちそうさまでした。ありがとうございました。

はい、ありがとうね。

また来ます。

楽しみに待ってるよ。
外へ出て扉を閉める。中から、常連のおじさん達が話す賑やかな声が聞こえてくる。平日だというのに、こんなにも人が集まっているのが不思議で、幻のようだと思った。
暗いバラック飲屋街の中で、ちゃこの灯りは眩しいくらいに光る。
11月ともなると、新潟の夜は本当に寒い。冬のそれと言ってもいいような刺すような寒さに、ぶるりと体が震えるのが分かった。
それにしても。ママは来年も続けると言っていたけれど、本当のところは分からない。ふと思い立って、明日にでも店を辞めてしまうかもしれないな。
でも、また来ると約束をしたのだ。そんな薄っぺらで消えてしまいそうな約束だけど、願掛けの一種みたいなものだ。
木枯らしに背中を押されるように歩いていく。
今年も、このままあっという間に終わるだろう。
変わりゆく街。儚い火を灯しながら、人も街もまた一つ年をとるのだ。