「ぼろ」とは悪いことだろうか?
「ぼろ」とは簡単に作りあげられるものではない。お金がなくとも節約して自分で直しつづけることで、あるいは放ったらかしにしつづけることで、何年もかけて醸成されるのだ。
「ぼろい」店を訪れることで、お金をかけて見た目を取りつくろうことなんかよりも大切なことがわかる。「ぼろ」の中には輝くものが見える。だからこそ、「ぼろ」を追いかける。「ぼろ」は、ロマンなのだ。
愛媛県の天空の郷 久万高原
「わー…これは、廃墟になってるのかな…」
変わった饅頭屋があると知り、大阪から300kmほど車を走らせ辿り着いたのは、愛媛県・久万高原。このあたりには弘法大師が訪れたという伝説が残っている。そして、この地にある「おこう饅頭本舗」が今日の話の主人公である。
あらかじめ電話したが繋がらず、呼び出し音が鳴るだけだった。でも電話が引いてあるということは行けば何かあるだろうと思っていたら、これだ。
古い店や鄙びた場所が好きだが、いざ訪れてみると既に閉業、ということはよくある話だ。
錆びた看板は今にも崩れ落ちそうだ。駐車場には雑草が伸びきっている。窓ガラスから覗くと、中は騒然としていていかにも廃墟めいている。

広い駐車場に車は停まっておらず、しんと静まり返っている。
「営業していたら、ぜひ話聞きたかったんだけどなあ。
だって饅頭屋のはずなのに……」

「何か……別の何かみたいな……」


結局、この日は諦めて帰った。
……で、その翌週また来た。
節約のため月曜日のみ営業
廃墟めいていたが営業中で、月曜日には開店している、という根拠のない噂を聞いたからだった。
「やった〜〜〜灯りが点いてる。噂は本当だった!」
寂れのせいか、なんだか独特の雰囲気がある。一度は帰ったけど、こうして縁があったことに感動しながら中へと入っていった。
「こんにちは〜……」
自分の声が一瞬響いてすぐ消えた。
中は、もっとボウリング場だと思っていたがそうではない。お土産物も販売しているような饅頭屋、といった感じだ。
ただ人気は全くない。
「誰かいませんか〜〜……って、わ〜〜〜!」
物陰からすーっと人影が現れて、思わず声を出してしまった。
「すみません、びっくりしちゃって」
「いえいえどうも。こんにちは」
この方が、おこう饅頭本舗の店主、近藤浩充さん(60歳)である。
「こないだ来たんですけど、空振りで。ここって月曜日しか営業しているんですか?」
「月曜日は饅頭を作る日なので、一日開けているんです。普段も、朝は居るけど日中は居ないですねえ」
「お忙しいんですね…」
「配達したり、パチンコしたりですね」
「パチンコか〜〜!」
「いやあ、暇なんですよ。お客さんが来なくて暇だから、外回りして饅頭を卸すのを重点的にやっています。まあその合間にちょいちょいっとね」
近藤さんはふふふと笑いながら、右手でパチンコを打つ動作をした。
「人件費節約というのもあります。ひとりでやってるし跡継ぎもいないし大変なんですよ。だってね、ぼくは十も病気を持ってる。糖尿でしょ、狭心症でしょ、静脈瘤でしょ」
「そうなんですね、大変ですね……」
「あとね、六十歳なのに最近若返る病気になりました」
「へ?どういうことですか?」
「五十肩です。へへへ」
「……!」
「そして、一番の重病が……金欠病ですね!」
「近藤さん、ボケてきますね〜!」
饅頭屋の店主というと頑固そうなイメージがあったが、近藤さんからは予想だにしないギャグが飛び出してくる。
歴史ある饅頭屋
「このあたりには元祖を名乗っている饅頭屋が沢山あります。おこう饅頭、おこう万寿、おくま饅頭……ややこしいでしょう?
久万まんじゅうっていうのはこの久万高原で昔から作られていたそうだけど、私の祖祖母に「おこうばあさん」という人がいて、おこう饅頭はその人がはじまりなんです」

▲右端が、おこうさん
「ここ「おこう饅頭」と同じ「おこう」という名前の「おこう万寿」は、私の親戚が経営しているんです。「おくま」さんは別のところで、ずっとお茶屋さんをやっていて。「おこう」ばあさんと、「おくま」さんのところの娘さんが友達だったと「おこう」ばあさんが言ってたそうです」
「おこう・おくま・饅頭・万寿……頭がこんがらがってきた〜!」
どこも元祖ということになっている。だが、どこも伝統的な久万まんじゅうであることは間違いない。

▲左が近藤さんの若き頃
「まあそんなこんなで明治のころからはっきりと「おこう饅頭」と名乗って代々饅頭を作りつづけてきたんです。以前は駅前から入ったところに店を構えていてね。その頃は、この国道33号線が久万高原の大動脈だったんです。で、そこにあったボウリング場が潰れたっていうのを聞いて、先代の親父が買い取ってね。それが2〜30年前くらいですかねえ」
「ボウリング場の居抜き!!それ、一番気になっていました。そんなに前の話やったんですね」
「ここに店を構えたときは、ボウリングのピンが看板になっていい宣伝になりましたよ」
「移転してきた頃は結構忙しくて、ドライブインとして栄えていたんです。毎日大型バスが並んで、団体の食事の予約も受けて。400人もの食事を出したたこともあります」
「すごいですね〜!そんなに沢山の人が」
「いい時代でした。饅頭屋の息子として、わたしも女の人にそりゃあモテてねぇ」
「何言うてはるんですか」
▲何年ぶりかに扉を開いたという、店の奥の大広間

▲天井がカーブしているのはボウリング場の名残だ
しかし、栄光は続かなかった
「わたしがここを先代から引き継いだのは2000年くらいになってからです。でもちょうどその頃、松山から高知自動車道が通り、この道の利用する自動車量が半減してしまいました。観光バスもここは走らないようになってしまって」

▲過去観光バスと協定を結んでいた頃の看板
「高速は便利なんですけどね。このあたりにドライブインはたくさんありましたが、利用者がいないもんだから全滅。ここは、ドライブインだけじゃなくて饅頭を作っていたから生き残りました」

▲廃墟となったレストラン部分

▲売れ残ったお土産
「ということもあって、今は饅頭の卸を主にやっているというわけです。せっかく続いてきた店だけど跡継ぎもいないし。親戚の『おこう万寿』に、あとは引導を渡してもいいと思ってます」
跡継ぎがいない、というのはどこの個人商店でも抱える問題だ。
来てからギャグを言いまくっていた近藤さん。でも、過去の賞状を眺めながら言うその背中は、寂しそうで、きっと色んな葛藤があるのだろう。しばらく私は何も言えなかった。
「……せっかくなんで、お饅頭を作っている場所を見学させてもらっていいですか?」
「いいですよ」

「これは饅頭の餡を包む機械なんです」
「これは以前使っていた釜。今も同じサイズの釜で、餡子を炊いています」
饅頭を作ってきた歴史のある器具たち。それはおこう饅頭の長い歴史を支えてきたものであり、代々この店で引き継がれてきたものだった。
「餡子に使う小豆は、北海道のもの。ひとつひとつ丁寧に作っています。昔ながらの製法を守っていますが、食べやすい饅頭にするために砂糖の具合は調整して甘さ控えめにしています」
「容器は、厚紙のいいものを使っています。旧皇族の方も偉くこのお饅頭を気に入ってくれましてね…」
近藤さんは、ギャグは挟まずに熱心に説明してくれた。
人がこなくなり、寂れてぼろくなっていく店。
時代が変わっていっても、そこに引き継がれてきた伝統的な製法や味は変わらない。
きっと、最後の最後まで。
おこう饅頭、いただきます
帰りに、買った「おこう饅頭」を開けた。
おこう饅頭の包装は金色に輝いている。
一口、食べてみる。
……美味しい。これだけ餡子の割合が多いとモタれてしまいそうだけど、あっさりしているし甘すぎない。
お腹が空いていたのもあって、ぱくぱくぱくと食べた。
食べながら饅頭に入っていた説明の紙を見ると、こんなことが書いてあった。
“一つ食べ二つ食べ、また三つ食べ、これぞ名物久万の饅頭”
“久万に来て面河の渓ともろともに
永久にたたえん おこう饅頭”
おこう饅頭本舗
愛媛県上浮穴郡久万高原町入野1327
0892-21-0416
店舗販売(月曜日のみ、〜18:00頃)